街で知り合ったお爺さんに連れられてとある事務所に行った。 イスラム教について博識のある別の老人も同席されて、 結局1対3で2時間半宗教談義を行ってきた。 そこに着くまで全く宗教の話をするなんて聞いてなく、 ただお茶を飲もうとそれだけの誘い文句だった。 (宗教談義とわかっているなら予習しとけばよかったと後悔の念。) 彼らは非イスラムの文化について知りたかったことと、 私に対してイスラム教がどのようなものか教えたかったとのこと。 下記の点は繰り返し繰り返し言っていた。 ・神はアッラーのみ ・死後、パラダイスの世界に行く方法はコーランに明記されている ・正しい行い、正しくない行いは全てコーランに明記されている ・アッラーは全てのものを作った (太陽、月、人間、キリスト、仏陀など) 私も私見ということを強調して非イスラムの文化について、 イスラムに対する考え方を話してきたけど…難しかった。 ---------------------------- ---------------------------- ---------------------------- ここイエメン(サナア)では日常生活の会話の中に多くの イスラム(アッラー)に触れることができる。 たとえば、 ■アッラーに讃えあれ →『おかげさまで』もしくは『ごちそうさま』を表現するとき、 『アッラーに讃えあれ』と言います。 ■アッラーの御名において →なにか物をはじめるとき、具体的には食事をする前、 動物を屠殺する前、契約や取り決めを交わすとき 『アッラーの御名において』と言います。 ■もしアッラーが望むなら →未来に行う、予定動作に関しては 『もしアッラーが望むなら』という文言を付け加えます。 コーランにも、イスラム教徒たるもの、 約束したならば、最後に必ず『もしアッラーが望むなら』 という言葉を付け加えるのを忘れなぬようにと書いてあるとの事。 また、一日に5回、夜明け前からお祈りの時間を知らせる アザーンが街中に鳴り響き渡る。 そして、年に一度断食があり、女性はイスラムの教えの通り、 夫と親兄弟以外の男に素顔素肌を見せないようにしている…。 周りの大人たちが上記を励行している社会で生まれ育ってきたら 自然とイスラムの教えを受け入れるようになるし、 イスラム以外を疑問に思うことも理解できる。 お爺さんが熱心にイスラムの教えを守り、 熱心にイスラムを教えてくれたことも理解できる。 常に寄り所となる宗教(イスラム教)を信仰している彼らは どこか強い部分があるのかもしれない。